デイリースポーツより

 さあ、いこか―。

 ベンチを出て、ゆっくりと夢の世界へ踏み出した。1歩、また1歩…。あふれそうになる涙を必死でこらえた。笑顔で手招きする選手の姿がゆがんで見える。目の前に広がる歓喜の輪。両手を上げて飛び込んだ。

 さあ、いくで!

 しっかり見といてや!オヤジ―。

 岡田監督の体が聖地の夜空へ舞い上がる。本拠地・甲子園で、球団創設70年目の年に宿敵・巨人を倒しての2年ぶりV奪回。宙に舞うこと5度。幼きころに体で覚えた浜風、芝の香り、黒土のにおい、そして虎党の熱狂を全身で感じる。父に連れられ通ったあのころと、何も変わらない。

 「亡くなったオヤジがそういういいシナリオを、最高の舞台をつくってくれたと思います」

 試合後の優勝監督インタビュー。お立ち台で声が上ずった。

 覚悟を決めたシーズンだった。「2軍は選手を育てることが仕事。1軍は勝ち負けしかないからな。勝てないなら、自分の野球ができへんのなら、辞めるしかないと思ってた」。栄光のトロフィーがひしめく自宅の応接間で1人、決意した。妻にも言わなかった。

 星野野球の継承、転換に苦しんだ。目の前の白星より将来を見据えた戦い。就任1年目の昨年はBクラスに沈んだ。そんな息子の姿を見るのが、母はつらかった。難しいことは分からない。でも勝てばあの子が笑う。それだけでいい。お父ちゃん行ってくるからね。ちゃんと見といてや―。

 大事な試合前、母はたばこを一息ふかし、仏前に供える。灰皿の中に置いた剣山に真っすぐ刺す。「たばこが好きな人やったからね」。86年9月3日、父・勇郎さんが他界した。肺を患っていたから、お供えは一番軽いたばこと決めている。

 85年の優勝時、父は入院していた。知人にそっと打ち明けた。「優勝も見たし、孫の顔も見たし、もうええわ」。悲しげに笑っていた。息子の前では最後まで強い父であり続けた。「見舞いには来るな。野球だけやっとけばええんや」と伝えていた。

 岡田監督の心に、今もその教えは生きている。だから墓参りも優勝してから行こうと決めていた。シーズンの戦いに集中し、勝つこと。それが父の願いでもあったから。「何も言わんでも、そこにいてるだけで安心できる存在やった。生きてたら75歳か…。喜んでたやろうなあ」。試合終盤、遺影がベンチに入れられた。ネット裏にいた母がそっと手渡した。

 9月29日が75回目の誕生日。姿はなくとも、お母ちゃんにはしっかりと見える。

 「お父ちゃんがきょうも帰ってきてはるわ」

 大事なときはいつもそう。供えたたばこが倒れない。燃え尽き、灰になっても、剣山に真っすぐ刺さって倒れない。息子が試練を迎えたとき、勝負のとき、魂の宿ったたばこが真っすぐに立って見守ってくれている。

 かつてタイガースの後援者として、1軍選手も2軍選手も分け隔てなく面倒を見た勇郎さん。甲子園を愛し、虎に恋した父の背中を見て育った。打倒巨人の思いは骨の髄まで染み込んでいる。

 「宿敵ジャイアンツの前で胴上げができて、最高に思います!」。“一番のトラ党”がお立ち台で声を張り上げる。右翼席で声をからしたあの日々を、今も忘れたことはない。

 号泣するにはまだ早い。2年前の忘れ物がある。悲願の日本一へ―。

 さあ、いこか―。

今日のデイリーの1面の紙面です。
子どものころ、6歳の時に85年の優勝を体験しました。
そのときのエースが「バース、掛布、岡田」でした。
僕の記憶の奥底にある阪神タイガースはやっぱり不滅でした。


ちなみに海老沢神菜ちゃんの写真集の記事も載ってます。
http://www.daily.co.jp/gravure/index.shtml